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watanabe sampoudou

コラム

  • 古染付と私 福山人
  • 〈鼎談〉「即如」の美 在りのままに生きる

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福山人
これは性格的なものだと思います。田舎の言葉で「いちがいもん」というんだけど、私は「いちがい」なんですよ。一か八かどっちかの道を行く。それが間違いであってもとことんまで行く。選択肢は狭いけど、案外奥は深い。
渡邊
先生のコレクションというのは奥行きがあるというか、ジャンルごとに見ても一つもぶれていませんね。
先生は「私の蒐集のなかで、誇れるものがあるとしたら、それは無銘に徹したことだと思う。事実私のコレクションの中には、作者の名を冠した作品は一点もない。」とおっしゃっていますが、それはなぜですか。
福山人
それは最初から意図したことではないのです。一つ言えるとすれば、柳さんの民藝に無銘というものがあったと思います。柳さんは、人の名前の付いたものは頑なに排除した。日本人は李朝と信楽で死ねるといいますからね。(笑)
それはいい得ていますね。先生は古染付、初期伊万里、その次が李朝なのですが、李朝になると、染付、白磁、刷毛目、鉄絵と、蒐集の種類も増えてきますね。
福山人
私らが「李朝、李朝」といい出した昭和四十年頃には、田舎にあまり李朝に詳しい人はいなかったんですよ。だから、馴染の古美術商に「李朝を探して来て」といっても、「李朝ってなんですか」といっていた位で。それからその古美術商が我々に焚き付けられて、探して来たものの中に随分面白いものがあった。
客の眼が高いと、古美術商が育てられるのでしょうね。先生は、東京の老舗の古美術商からも買われていますよね。
福山人
でも、骨董を探しに東京へ行くということはなかったですよ。仕事柄、休日は日曜日しかないですからね。だから、トンボ帰りじゃ無理です。私に暇とお金があったらもっと集まったでしょうけど、結局、道具屋が持って来るものをセレクトして、集めたというのが本当のところです。
渡邊
古美術商というのは、先生の眼に適ったものを持って来るのでしょうけど、先生のコレクションを見ていますと、その古美術商の眼力もかなり高かったのかなぁと思います。コレクションに統一性があります。
福山人
古美術商というのは、お客さんの好みに合わせるというか、よく研究していますから、私の徳利にしても半分以上は同じ古美術商から来たものです。でも、白磁のいいのが欲しい、黒高麗のいいのが欲しいと思っても、なかなかご縁がなかったですね。
確かに縁はありますね。しかし、念じないとものは集まらないですよ。
福山人
執念というものを持たないと手に入らないですね。人の持っているものの中にいいものがあると、強引に頭を下げて手に入れたこともあります。
磐田のお医者さんが持っていた白磁の壺ですね。
福山人
「甲斐」の鶴岡さんが、「磐田に初期伊万里の鎬の白磁を持っているお医者さんがいるから行ってみたら」というので、訪ねたら確かに在りました。そんなものは見たこともなかったので驚いて、どうしても手に入れたいと思った。手紙のやり取りをしたり、あの人も遊びに来て泊まったりして、ある時思い切って「譲って欲しい」といったら、「俺が死んだらあんたに譲るよ」というので、これは待つしかないと思ったけど、どっちが先に死ぬか分からないからね。あの人も磐田で趣味のグループを持っていて、その人たちとちょくちょく能登へ行くから、何を探しに行くのかなぁと思っていたら、合鹿椀を探しに行っていた。それで合鹿椀というものを知ったのです。これは民藝じゃないかと思って、私も蒐めるようになった。
珍品堂主人の秦秀雄さんを知ったのはいつ頃ですか。

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