法人名 |
渡邊三方堂WATANABE-SANPODO & Co.,LTD. |
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所在地 |
〒104-0061 東京都中央区銀座2丁目4番1号 銀樂ビル6階 2-4-1, GINZA, CHUO-KU, TOKYO 104-0061 |
設立 |
1924年(大正十三) |
代表者 |
渡邉 範子(代表者)、渡邉 祥午 |
主な事業内容 |
古美術の販売 |
古物商許可 |
東京公安委員会許可 第301088902861 |
所属団体 |
東京美術商協同組合、東京美術倶楽部 |
1879年(明治十二年) | 六月九日、初代渡邉久生まれる。久の祖父潔は福井県勝山藩士族で漢学者として、明治天皇の弟閑院宮載仁親王に進議する。 |
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1924年(大正十三年) | 久、同郷の縁で野村徳七の知遇を得、書画骨董業を創業。 福井市片町一〇に三方堂を開設。 |
1926年(大正十五年) | 東京市四ッ谷伝馬町三にて営業。 |
1926年(昭和元年) | 東京市芝区明舟町八(東京都港区西久保巴町一二)に移転。 |
1929年(昭和四年) | 三月、久、ドイツ系アメリカ人の中国美術コレクションの売立てを「スツラヘルネク氏所蔵品展観」(東京美術倶楽部)として、川部商会、小川多之介とともに開催。 |
1945年(昭和二十年) | 喜八郎、レムバン島から名古屋港に復員。 |
1946年(昭和二十一年) | 米田留吉氏(松留商店)の勧誘を受け、美術倶楽部株五株を購入。 |
1947年(昭和二十二年) | 有限会社三方堂とし、代表社員渡邉喜八郎、社員渡邉喜七郎で営業する。 |
1967年(昭和四十二年) | 渡邉喜七郎が独立し、神谷町にて古美術渡邉を営業。 |
1970年(昭和四十五年) | 東京都港区虎ノ門二-六-四に移転。喜七郎、安宅産業株式会社の業務開発本部美術品担当となる。 |
1983年(昭和五十八年) | 喜七郎、韓国三星湖厳美術館の開館に尽力。 |
1989年(平成元年) | 渡邉喜七郎死去、年享六十二歳。同年、喜七郎の妻範子は、長男祥午(中央大学法学部卒)とともに事業を継続。 |
2006年(平成十八年) | 東京都中央区京橋三-一-二片倉ビルに移転。 |
2010年(平成二十年) | 東京都中央区銀座二-四-一銀樂ビルに移転。 |
以上、岡田茂吉氏へ売却(現MOA美術館蔵)。